記憶







 「モノには記憶が宿る」なんて言われますが、それを先日、リアルで体験しまして。その時のお話です。

某Nトリで、セラミックのナイフを新調したものですから、切れ味をじっくりと試すようにベーコンの塊を切っていたのですよ。

朝の忙しい時間にサッと使い易いように厚さなんかも綺麗に揃えて。(大雑把な性格ですが、こういう所は必要以上にこだわりがあったりします。)

上手に切り分けたベーコンをジップロックに小分けをしてストック完了。

ナイフの切れ味と、綺麗に並ぶベーコンにえらく満足しナイフをシンクに沈めたままコーヒーを淹れ、雑誌を読んだりのんびり。


ひと段落ついたので再びキッチンに立ち「さあ、夕食の支度でもしよう。今日は何のメニューにしようかなぁ」なんて、考えごとをしながらシンクに沈んだナイフを何気なく手にした瞬間!!

ベーコンを切った時の記憶と柔らかな感触までが脳裏だけでなく指先にまでバーン!と鮮明に蘇ってきまして。

あぁ…これが噂のサイコメトリー(残留思念)というやつね…と知ったわけです。

いつもだったら何気なく使っている調理器具ですが、今回は新しいナイフだったことと、丁寧にベーコンを切り分けたことで、よりその時の情報が明確に残っていたのでしょうかね。(セラミック製なのも情報伝達信号が入りやすかった要因でしょうか…)

昔から、物には気持ちが入るから大切に扱いなさい。みたいに言われてきたわけですが、実際こういう体験をするとお洋服ひとつにしても、雑に扱えば雑念まみれの洋服になっていくだろうし、お財布にしろ、家の床にしろ、物を扱う気持ちって大切、所作を整えることも本当に大切なんだなぁと…改めて感じいったわけです。

整理された本棚や、フォルダー整理がキチンとされたパソコンメニューからは欲しい情報がスムーズに取り出せる様に、全てにおいて簡素で簡潔な状態からは、人は色々な物を受け取れるのだと思います。

それから、全ての物。合わせて、自身の思考にも、空き容量をある程度設けていた方がいざという時に、必要な情報が入りやすく、取り出しも容易になると思います。

サイキック能力というと、ついエキセントリックにとらえがちですけど実は、人間がより人間らしくいられたり心地よい暮らしを自然と体感出来たり人との相性を咄嗟に感じ取ったりと、
全ての人が本来、当たり前に合わせ持っている、「標準装備」の能力なのかもなぁと。今回の体験を通して思ってみるところです。







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